選択の自由なるものを考えてみたく。
選択的夫婦別姓を例題にして考えてみようかと思います。
選択的夫婦別姓は、要するに「苗字の選択が出来るように」という話なのだと思います。
「苗字を変えるのが嫌だ」と思ってる人による「苗字を選べる自由を与えてくれ」という主張なのだと思うんですけども。
仮にこの意見が通ったとして、ちょっと思うことを。
この「苗字を選べる自由を与えてくれ」という主張を、「苗字を変えたい」と思ってる人が主張し始めたら、やはりこの意見は通してあげた方が良いと思います?
どういう事かと言いますと。
「今度、結婚する事になりました。私の苗字は鈴木、相手の苗字は佐藤ですが、どっちの苗字も嫌なんです。苗字くらい自由に付けさせてくれませんか?そのまま苗字を使いたい方はどうぞ、配偶者の苗字を名乗りたい方もどうぞ自由に。選択は自由です。私は武者小路という苗字にしたいんです」
つまり、「選択的姓創作制度」とでも言いますか。
だってほら、もうSNSの世界では既にそうなりつつありますし。
僕だったら、このブログのペンネーム「木星」にしたいですかね。
プリンスさんも出てくるかもしれませんね。もょもとさんとか(伝わります??笑)
まぁ良いじゃないですか。選択ですよ。
いやしかし、ここまでくるともはや「苗字の存在意義とはなんぞや?」という感じですね。
江戸時代まで、農民は苗字がなかったらしいですけども。
苗字を捨てて、古き良き?日本に戻るのも一案でしょうか。保守派の方々に頑張っていただいて、古き良き日本の文化を取り戻しましょう。
ファーストネームだけ、特に不都合も起きないでしょう。実際に社会では苗字と名前があっても同姓同名とかありますしね、今とそれほど変わりません。
「選択的姓放棄制度」とでも言いますか。あくまで「選択的」です。苗字使いたい方は自由にして下さい。
しかしそこまでいくともう、「名前付けなきゃいけないの?」とも思えてきますね。
ほら、動物はきっと名前なんか付けてないけど、社会を形成出来てるじゃないですか。
「人間だけは名前をつけないと社会が形成できない?」そんな他の動物より人間だけ劣ってるわけないですよね。
もうここまできたら、そう。
「選択的名前放棄制度」ですよ。
マイナンバーが普及すれば、ナンバーで識別すれば良いですしね。ホモサピエンスが誕生してから、名前が誕生するまでの歴史をたどれば、名前がなかった時代の方が多いかもしれませんし、大丈夫かもしれません。
今までの「名前がある」という慣習に慣れすぎて、凝り固まらずに。しかも、あくまで、「選択的」ですからね。自由です。
名付けたい人は名付ければ良いんです。あくまで選択です。「選択の自由」を与えて欲しいという主張です。
、、、、
というところで、色んな「選択の自由」を考えてみましたが、みなさまいかがお考えになりますか?
あ、ちなみに僕は選択的夫婦別姓に別に反対してるわけでもないですし、かと言って賛成でもありません。どーとでもどうぞって感じです。
どういう方向にか社会は変わって、あるいは変わらないままで、そうなったらそうなったでそこに合わせて生きれば良いやと思ってる程度なので。
なんか、この話題はうるさい人がいそうなので、念のため書いておこうかと。
単に「選択の自由を」という言葉を「考える」というツールとして夫婦別姓を例題に使っただけです。
「自由」って、難しいなぁと個人的に思っていまして、とても大切だと思う一方で、あればある程良いとも限らないかもしれないなとも思います。
言論表現の自由とかね、信教の自由とかね、学問の自由とかね、もうどう考えたものやら。