【あなたの生活に新しい視点を】深読み気分を満喫するブログ

人生とはなんぞや?人間とはなんぞやー?人生に新しい視点をお届けします

※【深読み気分を満喫するブログ】※

深読み気分を満喫するブログです。

ということで、ブログを開始してみます。

お前ナニモンだ?という感じでしょうけど、ストレングスファインダーで内省がトップにくる「考えるの楽しすぎてタマラン」な人です、とだけとりあえず書いておきます。


これが深読みかどうかは、人が決めることですので、あくまで「深読み気分」と、保険をかけておくあたりから、僕のキャラクターを読み取っていただければ。

扱うネタは色々だと思いますが、扱うテーマは人間社会やら人間心理やら未来予測やらを無責任に深読みしていく感じになるかなと思います。

 

考えるのは楽しいぞぅ!

という事で。

 

ひとまず、過去に別で書いていたブログも混ぜながら、ボチボチ置いていったりしてみます。

よろしくお願いします。

議論の前提 既成事実という土俵

現在も、いろいろな場所で、いろんな方が色々議論されるのを目にしますが。

「既成事実が議論に与える影響」を考えてみたいなと。

 

さて。

憲法改正については、色々と議論がされる日本です。

他の国ではなかなか見られない、日本特有の議論だろうなと思います。

 

今現在行われている議論の前提には、「軍隊を解体した」という事実と「戦力を放棄した」という憲法と「自衛隊を保有してる」というのがあるかなと。

 

で。

もしですよ。

もし今、日本が自衛隊すら保有してなかったとしましょうよ。

軍隊はおろか、それに準ずる組織もないと。

その場合に、憲法9条についてどんな議論になるかを想像すると、なかなか面白い想像になるなぁと思います。

憲法改正したとて、戦後81年に渡って組織がないので、まず部隊編成から始まるわけですよ。

現実には20万人を超える自衛官がいる今の日本ですけれども、それが無いですから。

自衛隊ができた時は、「旧日本軍軍人」が日本中にいましたので、組織再編は比較すれば容易だったでしょう。

しかし、81年間ないんですよ。

ほぼ国家規模の巨大な新規事業の立ち上げになります。

自衛隊法もありません。

予算も全く編成したことがありません。

指揮官になれそうな人もいませんし、指揮官の経験者もいません。

将来の夢が自衛官!なんて子供達もいませんし、防衛大学のような学校もないでしょうか。

ミサイルやドローンはおろか、戦闘機や護衛艦も銃も1本も持っていません。

「どうやって日本軍をまた作る気?」という議論なしに、憲法改正の話は出来ないわけです。

アメリカ軍の指揮官に、自衛官の訓練方法とか手伝ってもらいます?ど素人の日本人だらけで。

「え、俺?俺が軍人として徴収されるの?」みたいな可能性が、かなり現実的に想像される世界でもあります。

相当にハードルが高い気がしませんか。

かなり非現実的な気がします。

 

現代日本において、これだけ活発に憲法改正の議論がなされるのは、「自衛官が既にいるから」という背景がかなり大きいですよね。

 

「自衛隊、あって良かった!」と言うのが改憲派でしょうかね。

なかったら、ホントこんなに活発な議論にはなっていなかったでしょうからね。

 

前提が変わると議論も変わるということで。

仮に改憲すれば、また前提が変わりますね。

日本人は9条抜きでの軍隊の文民統制をやった経験が81年間失われていますので、日本人全員が未経験です。

総理大臣も、外務官僚も、防衛大臣も、誰もやったことがないし、聞ける先輩官僚や先輩政治家も一人もいません。

ノウハウないので、「こんな場合は9条のこの条文を基に外国に説明を」という前例が使えない外交をやるわけですので、また議論の内容も変わるのでしょうかね。

 

 

余談ですが、「力を持つと、それを行使する心理的なハードルが少しずつ下がる」事例とも言えるかと思います。

これが更に少しずつ拡大して、「力使ってみたい」「力を使ってやろう」みたいな欲望にまで膨れ上がると、イケイケドンドンな大日本帝国の頃の日本国民になるわけですけれども。

「やったれ、弱腰政府は許さん!」みたいな感じですかね。

まぁ、そうならないように文民統制をしてるのが現代の多くの国でして、無駄に「このままでは日本が戦争に!」と不安を煽り立てられても困りますけれども。

ほんの一部の国を除いて、現代の多くの国は基本的に抑制的に運用していて、戦争を仕掛けたり仕掛けられたりする事態にまで至っていませんのでね。

きちんとそのへんの運用については議論して、国民もある程度抑制的な思考をしながら、ちゃんと軍事力を統制できるようにするのも大事なんでしょうけれども。

 

もとい。

 

この「既成事実の存在」が「議論」に与える影響は、何も改憲だけではありません。

 

例えば、最近だと「税制」の議論もそうでしょうか。「既得権益」と呼ばれるものも、存在が当たり前すぎて、その当たり前を基にして議論が進むことは多いかなと思います。

消費税の例で言えば、輸出企業はそこから還付金を受け取っており、輸出企業にとって「他国とのグローバル貿易競争を戦う」上で、重要な収入源(控除)になっていると思われます。他国の消費税(付加価値税)の税率の方がよほど高く、他国の輸出企業はより多くの還付金(控除)を受けていますので(これは別にブログにしましたので、気になる方はそちらをお読みください)、なかなか触れない。

また、政府にとっても社会保障制度などを担保するための重要な安定財源になっていて、その収入を見込んで既に国家経営をしています。巨大な収入源に既になっているので、安易に触れるものではありません。

もうここは前提ですので、議論の俎上に上がらないわけです。

消費税で議題に上がるのは、「社会保障をどうするか」みたいな「その収入をどこに支出するのか」という、いわゆる「積極財政の支出先選定」が中心になるかと思います。

一度作って動き出している制度は、それが前提にある議論に終始しやすい。

良くも悪くも。

前提が共有されるが故に、議論は整理され、しっちゃかめっちゃかな「お話し会」みたいにならず、きちんと結論を導き出せるし、活発な有益な議論になります。

一方で、「そもそも、この制度自体はどうなんだ?」という原点の議論が相対的に疎かになる可能性が常にある。

「もうあるんだから、しかもそれで多くが動いてしまってるし、なくすわけにもいかないじゃん」もあるでしょうか。

「もう20万人も自衛官がいるのに、自衛隊をなくしてしまうと、失業者が溢れてしまう」みたいな、必要性とは別の議論が出たりだとかもしますし。

原点の議論が相対的に失われる。

基本的に、議論というのは「前提を共有した上で」されるものです。

なので、「その共有されている前提は、おかしくないの?」という疑問を挟む余地が小さくなります。

その議論をしてないので「いや、今はその話をする時間じゃないよね」「論点をずらして邪魔しないでね」「議論ひっくり返したいだけじゃないのか?今はそれを前提に議論してるんだから。」という正論みたいなものに、そういう疑問は抑えられやすい側面もあるのかもしれません。

 

最近は「消費税減税!」とか「既得権益を見直せ!」といった議論も、確かにあるのですけれども、そのへんは割と「民間の中では」という感じでして、国の中心で話される議論の中心はやはりそこではなく「積極財政」つまり「支出先」の話が中心になっています。

 

ダメって話ではないんですけどね。

議論というものに与える「既成事実」の影響ってのは、議論を見ていると、とても感じるなと思うのと同時に、その議論が一体どのような「既成事実」を基に成り立っているのかを探してみたり、その「既成事実」が本当に今でも成立するのかどうか(昔は合ってて、今は時代背景が変わって既成事実そのものの価値が変わっていることもありますので)を考えてみるのもまた、大切な視点かもしれませんね。

「国防」における「抑止力」と「外交」、役に立つ時、立たない時

「国防」と言えば、軍事力による抑止と外交がよく言われます。

 

「軍拡」と言うと、個人的にはあんまりよろしくないイメージがありますが、まぁ世界はどの国も大なり小なり軍拡しています。

いわく「抑止力」なのですが。

 

この「軍拡」については、大きく2つ、相反する要素あると思います。

ひとつは「戦争を抑止する」もの。

ひとつは「戦争を呼び込む」もの。

 

前者「戦争抑止」が「不足」することで戦争になった事例として、ロシアのウクライナ侵攻が示されることが今は多いです。

ウクライナは核兵器を手放し、ロシアへの抑止力を失ってしまった、と説明されます。

と同時に、ウクライナのNATO加盟問題が「ウクライナ側の軍拡の意思」と捉えると、「戦争を呼び込む」ことで戦争になった事例と捉えることもできます。

 

イランへのアメリカイスラエルの侵攻も、「イランの軍拡(核武装疑惑)」がこの戦争を呼び込んだようにも見えますし、アメリカとイランの軍事力差による「イランの抑止力不足」により起こったようにも見えます。

「軍事力に劣る側」が「軍拡しようとする」と攻撃されてしまう事例、みたいな見方をすると、「軍事力に劣る国は、軍拡すると戦争を仕掛けられる可能性が高まる」になるでしょうか。

「相手が完全に強固な抑止力を完成させる前(まだ勝てるうち)に叩く」というか。

アメリカやロシアは、それを「自衛」と称して攻め込んだわけですが。

それは「事前にもっとしっかり軍事力を上げておけば、攻撃されなかった可能性がある」とも見えます。

十分な抑止力が完成するまでの移行期間が最も危険とも言えるかも知れませんが。

 

つまり、軍事力の状態は「戦争を抑止する行為」でもあり、同時に「戦争を呼び込む行為」でもある、という感じでしょうか。

 

「自衛戦争すらダメ」と考えてる人たちも、「自衛戦争だけはやむを得ず認めざるを得ない」と考える人たちでも、「侵略戦争はもってのほか、自衛戦争すら起こって欲しくない」と思ってる点はおそらく共通です。

だからこその「抑止力が欲しい」と考える人もいるし、だからこそ「呼び込むのをやめて欲しい」と考える人もいるってことなのかなと思いますが、いずれにせよ役に立つ時もあるし、役に立たないどころかマイナスな時もある、ということで、万能ではありません。

 

能天気に「軍事力強化すりゃ良いんだよ」みたいに、軍拡の「戦争を呼び込む」リスクを軽視しているような考えも、

「軍拡やめりゃ良いのよ」と軍拡の「戦争を抑止する」力を軽視しているような考えも、

それはそれで良いのですけども、抑止力がいくらあろうと無視して戦争(日米戦争のような)もありますので、軍拡やめてもやめなくても場合によっては戦争も起こってる歴史を振り返れば、抑止力として常に万能というわけでも役立たずというわけでもありませんが、役に立たない時があるがゆえに、違う方法も同時に考えたいということになる。

 

じゃあ、外交!ということになりますが。

他国との関係性は、良いも悪いもありますが、ゼロヒャクではありません。

「軍事行動を起こすほどの関係悪化」に至らなければ、関係が悪いことそのものが脅威になるわけではないでしょう。

「良好な関係であるにこしたことはないが、良い関係を持つ必要まではない。悪化しないにこしたことはないが、絶対に悪化を避けなければならないわけでもない」くらいの、微妙なグラデーションの中で外交がある感じはします。

 

日本で言えば、中国やロシアがよく名前が上がる「微妙な関係の国」だと思いますが、「そんな事したら日中関係や日露関係が悪化するぞ」という行為でも、国益のためと戦争に至るほどでもない悪化であれば許容範囲なのでしょうし、「そこは中国やロシアにとってのレッドラインを超えるぞ」みたいなのは避けたい。

どこにレッドラインがあるのかは明確ではないですから、人と人が直接膝を突き合わせて、お互いに様子を見ながら、顔色を見、声のトーンを聞き、探り合いながら、踏み込んでみたり、一歩引いたりを何度もやっていくのが、まぁ順当なやり方でしょうが、レッドラインは明確でないが故に誤って踏み外してしまう可能性は常にあります。

かと言って「悪化させちゃダメだ!」と、ヘーコラするだけでは国益を損うかもしれません。

戦争じゃないのに国益を損う、というのは「戦争を経ない侵略をされてる」みたいなものでしょうから、「国防」と考えると、時に関係が悪くなろうとも強く出る場面は必要です。

とは言え、強く出るにしても、うまく立ち回れば、戦争を回避することはできるかも知れませんから、政治家の手腕にかかっていますが、外交が役に立ってくれることはもちろんある。

 

だけど、外交がほとんど役に立たないものもあります。

例えば、サラミ・スライス戦術みたいなものへの対応に、外交はなかなか役立たずです。

全く役に立たないとは言いませんが、交渉には時間がかかります。

しかし、交渉してる間にも、勝手にサラミ・スライス戦術は進んでいってしまう。

サラミ・スライス戦の例としては、中国の南シナ海での行動なんかがあると思いますが、

①漁船や海警局の船を係争海域に恒常的に展開

②浅瘦礁(スカボロー礁など)に一時的な建造物を作る

③埋め立てで人工島化

④滑走路や軍事施設を段階的に建設

まぁ、どの一手も単独では「開戦事由」になるほど大きくなく、気づけば実効支配が完成している、なかなか厄介な感じですが。

外交してる間に進んでいくので、対応が難しい事例かもしれませんが、放置する訳にもいかない。

中国はまぁしたたかというか、孫子の兵法「戦わずして勝つ」の中国らしいやり方なのかもしれませんが、戦争じゃないのに侵略が進む、という外交のリアルにどう対応して守れるかは、外交とは違う力が必要な感じはします。

この時に、戦争にならない程度に自国の自衛隊を展開して、みたいな微妙な軍事的圧力は欠かせない手段になったりするかもしれません。

 

少なくとも、「侵略戦争は絶対反対だし自衛戦争すら起こってほしくない」だけど「しっかり国防をしたい」とした時に、軍事力がどこまで役に立って、外交交渉がどこまで役に立ち、それぞれ役に立たないのか。

他国からの侵略とは、どんな風に進むのか。

どの程度まで踏み込み、どこまでで止めるのか。

 

僕はアホ丸出しで「むっずかしーなぁ」と、答えも出さずに、学問的とも言えない趣味程度に学びを楽しんでますが。

いやー、、国政にいる人たちは大変だなと。。

ミスコミュニケーション

意図が伝わらないこと、ってのはまぁ世の中ままありまして。

「意図が理解できてないよ」なんて言われることもままあります。

まぁ違う人間だもの、仕方ないよね、なんて思ったりもしますが。

僕もたいして賢くないというか、アホなので、意図が理解できないなんて普通にありますが。アホなりに頑張りますけどね。まぁ理解出来ないことも多々あります。

ただ、罵り合いになってるのは、なんか切ないなぁと思います、個人的に。

 

「戦争やめろ!」とか「抑止力だ!」って叫んでる人同士のやつで、最近それを思いました。

理解力の問題というよりは、ミスコミュニケーション?という感じですが。

 

「戦争反対!戦争やめろ!」

「戦争やめろ?日本はいま戦争してませんけど」

まぁそらそうだ。

 

「抑止力のために武力を!」

「軍拡?脅しとか暴力肯定するんだ?」

まぁ言いたいことはわかりますけども。

 

なんかこう、もう罵り合いという感じでしょうかね。

喧嘩で例えるなら下記のような感じのやり取りでしょうか。

 

 

「俺、何かあったら、あいつを殴り返す準備してるのよ。」

「いや、喧嘩はやめろって、さすがに喧嘩は反対するよ」

「いや、俺いま喧嘩してないけど」

「、、、やめろってのはそういう意味じゃなくてさ、、、喧嘩は反対だってこと」

「だから俺今は喧嘩してないって。あいつ、俺を殴る練習してるし、なんなら脅してきてるし、やめろってのは、あいつに言えよ」

「いや、じゃなくてさ、そりゃあいつにも言うけどさ、お前も喧嘩やめろって」

「だから、俺にやめろって言われても。何回も言うけど、俺はいま喧嘩してないって。」

「知ってるよそんなこと。」

「じゃあ、やめろっておかしいよね。バカなの?日本語不自由なの?」

「いや、それを言うなら、あいつも喧嘩してないから、あいつに言えってのもおかしいよね」

「いや、あいつは俺を殴る訓練してるの見せつけてきてるから。その脅威を知らないの?」

「あなたもあいつを殴る訓練を見せつけてるじゃない」

「いや、俺は守る練習であって殴る練習じゃないのよ」

「あいつもそう言ってんじゃないの?」

「何なの、あいつの味方するの?」

「じゃなくてさー、、」

 

 

こういうやり取りがたまに見ますが、こりゃもうミスコミュニケーションじゃないですか。

別に「戦争やめろ」って言ってる側の味方をしたくて言ってるのではないですよ。

逆のパターンもあります。

例えば

 

 

「喧嘩はよくないけど、襲われたら身を守るための準備はしとこうぜ、場合によっては、殴られそうなのがわかったら先に手を出して身を守るのもありうるでしょ」

「え?暴力肯定すんの?」

「いや、ダメだって言ってるじゃん」

「身を守るって綺麗な言葉で言い換えてるだけで、それ暴力じゃん。なんで絶対ダメって言えないの?肯定してるからでしょ?」

「別に、1発殴られたら反射的にすぐに殴り返すとか言ってるんじゃなくてさ、もし殴られても、ちょっと待て!話し合おう!で終わるなら、1発食らったのは我慢して、殴り返さないこともあるだろうよ。命の危険があるようなナイフ持ってきたとかなら、とりあえず逃げるし。でも逃げ場もないなら殴り返すよってこと。」

「へー、暴力肯定するんだ。」

「肯定してるんじゃなくて、それしか手がない時があるよね、その時は仕方ないじゃん」

「仕方ない?うわー、、言い訳がましい。お前みたいな奴がDVするんだよね、頭悪いな。殴られそうなら先に手を出す?殴られそうだー!って言い訳用意して先に殴りたいだけでしょ。話し合いしろよ。」

「だから話し合いもするって」

「さっき、殴られたら殴り返すって言ったよね?先に殴るとも言ったよね?」

「いやいや、そんな単純化しないで、場合によってはそうするとは確かに言ったけどもね、」

「言ったけども?言い訳ですか?結局それがお前の本音なんだよ。暴力肯定、それが本音なんでしょ。」

「じゃあお前どうするの?」

「話し合うって言ってるじゃん。暴力反対。」

「だからさー、、、もし殴られたらって話」

「いきなり殴ってこないでしょ。挑発するから殴られるんだよ、殴られないために話し合うのよ」

「いや、じゃなくてさー、、」

 

 

こういうのもよく見ます。

 

ミスコミュニケーションというか。

非常にこう、なんと言いますか、アレですよね。

 

もちろん、あえてそういう方法を取ってる人も見かけます。

それは、「論点をずらしてやれ」ということではなくて、そんなことは分かった上でやっていて、しかし論点が変わるからこそ、本論の論点と同じになる、という一見魔法のごとき手法というか。

「やってんなぁこの人」と思ったりしますが、なかなか伝わってないから、残念な感じになってますけども。

 

だけど、そうじゃない人もたくさんいるようでして。

もう目も当てられない「あいつはバカ」合戦が繰り広げられていたりします。

 

なんと言いますか、人間てのはなかなかコミュニケーションが下手だよねと。

 

「話し合いでなんとかする?じゃあウクライナの戦場に行って止めてみろよ」とかたまに見ますもんね。

いや、話ってのは、「安全な場所で」「国の代表が」やるわけで。

「戦場最前線で」「庶民が」やるのが話し合い?何言ってるの?みたいなね。

第二次世界大戦のガダルカナル島の最前線で総理大臣と大統領が話し合いなんてしないし、ましてや代表でもない子供が行ったりしませんし。

一体、誰に、どこで、何をすることをオススメしてるんだかよく分からないじゃないですか「ウクライナ行って戦争止めてきてよね」は。

ただの売り言葉に買い言葉の子供の喧嘩?みたいな。

 

見てる感じ、論破でもしたいのかなぁなんて思える人もいますが、仮に論破できたとして、それが何なのでしょうかね。

対話したいのではなく、論破したい人が「対話拒否しやがって」みたいなこと言ってて「それ、、自己紹介だよね」みたいなのとか。

ま、論破した気になって気持ちよくなりたい人もいるのだろうなと思いますので、それはそれで良いんですけど、まぁ大人がやってるのを見ると、個人的に切ないなと感じますね。

僕はそういうのは自分にとって人生の時間の無駄だと思ってしまって、「うわぁ、、、もうことやり取り無意味、、」と思ってしまいますが。。

 

まぁ「それも大人」なのかなと思うと、人類オモロいですよね。

なにゆえ戦争なのか

例えば、あなたが営業マンだったとして。

「この契約をしないと、殺すぞ」と言えば契約を取り付けることは出来るかもしれません。

ナイフを突きつけながら話しをすれば、契約がとれるかもしれません。

しかし、もしあなたが営業マンだったとしても、そんな営業をかけない人が多いと思います。

一流企業の一流営業マンであれば、やらないのではないか?という次元の話ではなくて、そんな発想がそもそも起こらないというか、考えたこともない、という感じでしょうか。

考えたとしても、まぁ一発で信用失うだろうし、次はないかもしれないし、捕まるかも知れないし、いやそもそも殺してまで手に入れたいものでもないし、、殺すのは怖いし、、などなど、やらない理由の方が簡単に思いつくのではないかなぁと思います。

 

しかし。

この普通の感覚が、政治家になると、どうやら希薄になるようでして。

そして、政治に関わる人たちも、どうやら希薄になる。

 

「相手が無理やり契約をさせようとしかけてくることもあるから、こっちは武装しておかないと。だからいつもナイフを携帯してます。いつでも取り出せるように。でもこちらから攻撃するつもりはないです。場合によっては、自分を守るために使います。仕方がない、それが現実なんです。無理やり契約を迫る人に、言葉が通じないこともあります。話せばわかるなんてお花畑は夢の中でやってください。現実はそうではない。無理やり契約させられるのを受け入れるしかないのですか?私はいやです。だからナイフを携帯していますし、場合によっては殺します。しかしそれは仕方ない。相手が無理やり契約を迫るから、話し合いだけでは解決しないから、やむを得ず殺す場合もあるということなのです。」

 

マジか、、という理論が、政治の世界では割と普通に語られます。

 

普通に生活してたら、そもそも考えもしない「場合によっては殺す」が、なぜ考えの中に平然と入ってくるのだろう?と思うわけですよね。

平然と入ってくる。ほんとに。不思議です。

 

「殺せばなんとかなる」と思ったりはしないじゃないですか、普通に生きてたら。

殺したって基本的にはなんともなりませんし。

国際政治ではなぜ「殺せばなんとかなる」という判断ができるのでしょうかね。

不思議です。

もちろん、政治家になれば「日本人の命を守る」というのが仕事になり、「いざとなれば」という思考になるのだろうと推察します。

悪いことだとは言いません。

しかしまぁ、それでもなお、もうひとつ大切にしていただきたいなぁと思うことがあります。

それは、「日本人と世界の人々ののメンタル(心)の平和を守る」ということです。

 

戦争反対の理由は様々語られます。

いわく、人殺しは良くないから。

いわく、自分が死にたくないから。

しかし、僕が戦争反対の理由はたった一つです。

 

僕が人を殺したくないからです。

そして、誰かを人殺しにしたくないからです。

日本人も、他国の人も、殺されて欲しくないのと同じくらい、人殺しにはしたくないからです。

「人を殺した経験のある人間として生きることを誰にもして欲しくない、自分もしたくない」ということです。

 

確かに戦場において殺されることは、それは辛いものでしょう。

しかし、戦場で誰かを殺し、隣で仲間が次々と死に、そこから生きて帰ったとして。

理由はともかく、人を殺したわけです。

その殺された他国の人々にも人生があり、親がいて、もしかしたら恋人や子供がいたでしょう。

殺された日本の人々にも、同様に。

戦争が終わり、平和の中で暮らす時、自分の周りにはそんな「戦場で家族を奪われ、とり残された」人々があふれています。

「人を殺した経験をせずに済んだ」人たちです。

「仕方なかった、あれは戦争だったから」と、当面の間は自分が殺した他国の軍人には言えるかもしれません。

しかし、全く同じように「仕方なかった、あれは戦争だったから」と言う他国の軍人がいて、その他国の軍人に殺された家族を持つ日本の友人が周りにはあふれています。

「私の夫と息子は戦場で殺された。どうして死ななきゃならなかったの?戦争だから仕方ない?私の夫と息子を殺しておいて、仕方ないで済ますつもりなの?何の恨みがあって!!!」と。

自分が言われていないけど、まるで自分に向けられた言葉のように感じてしまう「人を殺した経験を持つ人間」になってしまった自分。もう「人を殺した経験を持たない人間」に、後戻りはできません。

そんな自分が、「普通の感覚」を持つ「人を殺した経験のない」人たちと共に生きる世界です。

どのように交流していけるでしょうか。

「仕方なかった、あれは戦争だったから」

そう自分に言い聞かせていられるのは、いったいどれくらいの期間なのでしょうか。

あなたの「心の平和」はどれくらい保てるでしょうか。

平和を取り戻した日本で、そんな彼らを見て、それでもなお人は何の疑問もなく「仕方なかった」と思い続けられるのでしょうか。

「あの日殺したあの人にも、この隣人のように家族がいたのだろうか?誰かの人生を奪ってしまった、何十人何百人もの人生を。そして、その人を失った家族の悲劇を作り出したのも自分だ」

ふいに頭をもたげるその自責の念を「いや仕方なかったんだ!自分を責めないでくれ!」と無理やり抑えつけ続ける人生が、果たして将来迎えたい人生なのかどうか。

平和になると、そのうち「あの戦争は何だったのか」と、知らない世代が語りはじめます。

「なぜ殺し合うのか?殺すことはいけないのではないか?なぜ話し合いで解決できなかったのか?仕方なかったとは言い訳ではないか?」などと、知らない世代が隣で語り、本が出回り、テレビで流れ、SNSでやりとりされます。

幾度となく、際限なく、悪意もなく。

そんな「人を殺す経験をせずにすんだ人々」にかこまれて、そんな世の中に生きていく時、平静を保っていられるほど人は強くないのではないかと思います。

「もうその話はやめてくれ、今更どうしろと言うんだ!もう過去は変えられない!そうだよ殺したよ!何百人も!仕方ないというのが気に入らないなら言わないが、でももうどうしようもないじゃないか!当時の自分に何が出来たと言うんだ?もうやめてくれ!わかったよ、悪かった!すまなかった!ごめんなさい!許してくれと言える立場ではないのは分かってるが、だけどもう、どうしようもないんだよ!取り返しもつかない!」

整理できない葛藤と共に生きるんじゃないだろうかと思います。

そして、戦場という狂気の中から帰った時、自分の中には狂気だけが消えずに残ったままでいます。もう平和なのに、自分は狂人のまま。

日本では戦後81年経ってもなお癒えずに苦しんでいる人がいる、PTSDや精神疾患と呼ばれる状態です。

そのあなたの狂気は、平和な中を生きる日本人に向けられ、自分に向けられます。

家族や誰かを暴行したり、自殺したり。

そうしたくないのにやってしまう、、のではなく、暴行している瞬間は「暴行したい」自分になってしまっている。狂人だからです。

人を殺し殺されそうになる経験は、そんな自分を作ります。

平和になった日本と、心の平和が壊れた自分、平和を破壊する行為をする自分。

戦争に勝とうと負けようと、です。

そんな日本を作り出す戦争という行為が「日本を守る」行為なのかどうか、果たしてどうだろうかと。

人を殺す経験をせずにすんだ人々を見て「いいな、羨ましいな、もうこんな経験をする人は出なくていいよ、自分の世代で最後にしよう」みたいな事を思った人たちが、敗戦後の日本にも、勝ったアメリカにも、たくさんいたんじゃないかなぁと思います。

自衛戦争だろうと侵略戦争だろうと、現場にあるのは人を殺すと言う経験です。

そんな人生を、誰かに歩んで欲しいのかどうか。

あなたはそうしたいのかどうか。

戦争とは、勝てばハッピーなのだろうかと。

勝とうが負けようが、未来は悲惨なのではないかと思ったりするわけでして。

僕はそれがどうしても嫌だなぁと思います。

 

殺された方がマシだ、と言うつもりはないですが、人を殺した経験をかかえて生きることは、殺されるのと同じくらい辛いものだと思えてならないんですよね。

 

日常生活においても、正当防衛であったとしても、人を殺した経験は、重たい心の傷を背負わせますからね。「正当防衛だし」と気軽に言えるような人生ではありません。

だからとて、正当防衛を否定するつもりではありませんが、「何かあったら、いざとなれば殺してしまえ、そうするしかないだろ!」と軽々しく言うようなものでもないわけです。

 

「何かあったら、戦争もするんだ!戦い抜くんだ!」心構えは素晴らしいと思いますが。

その戦争は、何を生み出し、人に何を残すものなのでしょうかね。

戦争は人殺しを正当化しますが、戦争が終わってからも人生は続きます。

人殺しを正当化してくれない平和な社会で、人殺しの苦悩を抱える「心が壊れた」人を生み出すでしょう。

 

先述の通り、政治家になれば「日本人の命を守る」というのが仕事になり、「いざとなれば」という思考になるのかもしれません。

しかし、「日本人には人殺しの経験をさせない、他国の人にも日本人を殺す経験はさせない」こともまた「日本人の心の平和を守る、他国の人の心の平和を守る」ために、日本の為政者の方には大切にしてもらいたいなぁなんて思ったりしますね。

そしてそれは、世界中の為政者たちにも思ってもらいたいなぁと。

話し合いができない人類と、日本の隠し玉

「話し合いで戦争を止める」

そんなアホな!

ということで、そこらのヤンキーではなく、学のあるいい大人である世界中の政治家が、話し合いする能力すらないのが人間の人間たる所以なのでしょうかね。

 

確かに、戦争であれ、戦争ではない外交であれ、基本的に「脅し合い」っぽくもありまして。

 

「そんなこと言うなら関税上げるぞ」

みたいな経済力を背景にしたものもあるし、

「食品の輸出止めるぞ」

みたいな生産力を背景にしたものもある。

「石油止めるぞ」

みたいな資源を背景にしてみたり、

「攻撃するぞ」

武力を武器にしてみたり。

 

まぁ様々ございますが。

これを、大学まで出たエリート達同士がやってるのが国際政治の舞台なわけですから、人間ってのは対等な話し合いをする能力が基本的に欠落しているのかもしれないなぁなんて思ってしまいます。

「右手で握手、左手にナイフ、これが人間のエリート同士の知性溢れる話し合いなのです!」

ギャグ漫画みたいですよね。知性って、、ヤンキーと差ないじゃん、こいつら本当に知的生命のエリートなのか?みたいなね。

「じゃあお前出来るんかい」と言われましても、私も人間ですし。何ならエリート達からは格段に劣る学しかありませんし。対話したいなぁと思ってますけどね、その能力があるのかは知りません。

それに、話し合いは1人では出来ませんので、相手がおります。

仮に僕にその能力があったとて(ないでしょうけど、あったとしても)、相手にその能力がなければ出来なさそうでもあります。

 

ま、なにわともあれ人類とは話し合いが出来ない生き物だとした時に。

未来永劫、何か力を示して脅しをかけるパターンが続くことになりそうな気もします。

 

というわけで、日本にその力があるかどうかなのですけれども。

 

我が国日本は、食品の生産力もありません。

とりあえず経済力はあるっぽい国のようですが、経済力も世界に遅れをとりつつあると言われます。

じゃあ軍事力!かというと、まぁそんな軍事力を維持するための土台が経済力ですのでね、なかなか。。

 

ということで。

資源はどうか、って感じです。

 

資源?石油ないよ?

はい、そうなんですが。

日本は、水という天然資源は世界有数の保有国でございます。資源大国日本。

世界中が水不足だと言われております中、日本は潤沢な水資源を持っています。

そんな水資源を育む自然環境が日本には整っておりまして。

雨が多い、みたいな単純な話ではなくて、それを浄化したり保持したりするための土であったり、適度な高さの山であったりと、なにわともあれ豊かな自然環境が日本の水資源のもとでもあるようです。

そして、世界では水が不足する中、日本は全体としては水が余っています。

余っているというのは、ちょっとどころではありません。

日本に存在する水資源のうち、日本で消費しているのはわずか1割程度で、9割は使っていません。

つまり、水を売れるわけです。

「いや、重たいから!運ぶの大変だから!」ということなのですけれども、石油も同様です。

石油はなぜ儲かるかというと、単価が高いからということですが。

石油もかつては安かったわけですが、産油国が結束して価格決定権を握ったことで一気に高騰したという史実があります。

つまり、水の単価もマーケティングと需給構造次第で動かせるはずなのです。

石油のごとく、水も単価を上げれば良いということです。

 

だってほら考えてみてください。

コンビニで売ってる500mlペットボトルの水が120円くらいです。

ガソリン代いくらですか?レギュラー1リットル180円、ハイオク1リットル200円ですよ。

既に水はガソリンより高いのです!

海外では、水は更に高いのです!

って、そんなことには騙されませんよね皆さん、、うん、まぁ分かります、石油の方が高いですよ、わかってますって、すんません。

現状はね。

 

しかし、飲食店でタダで水が出てくる日本で、120円コンビニでは払うわけだから、マーケティングってのはなかなかパワフルです。

 

需要と供給と、そしてマーケティングで価格は変わりますので。

「日本ブランドの水!」と高値で売るマーケティングをしたりとかね。

日本の水は美味しいぞー!というブランディング戦略を立てる。

もう一つが、日本は「淡水」ですので、半導体に必要な工業用で大量出荷も可能です。

半導体製造は超純水を大量に使うため、水資源が乏しい地域(台湾・中東など)がここでボトルネックを抱えているからです。

飲料水の日本ブランドによる高値と、工業用の淡水によるボリュームで、二本柱で儲けていこう!みたいなね。

まぁもちろん日本にある水がそのまま使えるわけではないので、技術開発も並行しなければなりませんが、元になる資源自体は潤沢ですので。

どうやって?

いや、僕は賢くないので、、、

賢い人、がんばれー。

 

石油なんてなくても人は生きられるけど、水がなければ死にます。しかも最近は半導体で淡水は重要な産業資源ですから、もしかしたら日本は世界の覇権を取れるかもしれないポテンシャルを持っているのかもしれません。

 

世界の経済を石油が支えるとするなら、世界の命と経済を日本の水が支える!みたいなね。

 

なんかそういうのがあると、「話し合い能力」がどうせ欠落している人類ですから、日本人として武器になりそうじゃないですか。

知らんけど!

 

というか、話し合い能力もったらいいのにね、学があるなら。

自称「知的生命」さんたちでしょうにね。

国旗損壊罪の「なにそれ美味しいの?」感

なんか知りませんが、成立したようでして。

国旗損壊罪。

なんじゃそれ?という法律ですが、国旗を汚損、損壊すると捕まるらしいです。

不快になる方法で、リアルタイムに損壊すると、ということなのだそうですが。

なんじゃそれ。

僕は、国旗を買ったこともないどころか、国旗がどこに売ってるのかも知らないですが、損壊したい人がいたとして、喜び勇んで国旗を買って壊したい人がいるんでしょうか。

国旗って、買うの?金出して買うなら、国旗が好きな人が買うんじゃないの?知らんけど。

オリンピックとかで応援席で大量に振られてる国旗とか、あれみなさん買ってるの?

あのような旗を応援のためにブンブン振り回して、どこかに引っかかって破れたらどーなるんでしょうかね。

あるいは、手が滑って落として汚したりとか。

いや、犯罪になるって話ではなくて、「めんどくさい思想強めの人」にからまれそうだなってことです。

「そんな所で振り回したら、引っかかって破れる可能性があることくらい想定できたでしょ!わざとだよねそれ!わざとじゃないって言うの?証明してみなよ!この嘘つきめ!不快だな!明らかに国旗損壊罪だ!」とか、

「そんなに強く振り回したら、飛んでいく可能性があることくらい想定できるよね!落として汚すのが目的で、強く振り回したフリをしてたんじゃないのか!いや、そうに決まってる!で、わざとじゃないんですと言い訳出来るようにしてるだけだろ!不愉快だ!共産主義スパイか!国旗損壊罪で捕まえたるわ!」とか言う人いそうじゃないですか。

雨の中を右翼の街宣車が国旗掲げて走ってたら、まぁ雨に汚れますよね。というか、車に描かれた国旗の上に何やら国歌の歌詞とか書いてたりするやつもあるから、あれ公然と損壊っすよね。街宣車不快だな、って人がいるでしょうし。

サッカーのW杯とかで、顔にペインティングしてる人とか。試合後半もう汗まみれですから。「汗まみれになるの知ってて、わざとやったな!」とか謎の愛国者に絡まれたらダルいっすよね。

知らんけど。

有罪にはならんでしょうけど、多分。

「目的問わず」「不快な方法」ならば有罪なので、謎の理屈で、面倒な人に絡まれて、面倒なトラブルが起きそうな気はしますよね。思想強めの人いますし。

まぁ僕は国旗なんて持ってないし、買ったこともないし、作ろうとも思わない人なので関係ないかー。

って思いたいところですが、誰かの日本国旗が僕の手に引っかかって汚れたり破れたりして、「お前、偶然のフリしてわざと引っ掛けたな!」とか言われたら面倒だなー、なんて思ったりもしますね。

まぁ基本関係ないですけどね、多分。

 

この法律での気づきは、そもそも国旗って、損壊されたら不快になる人が割といるんなのだなぁということですね。

僕は別に何とも思わないので。

いや、正確には「おぉ、どうした?国旗をそんなにぐちゃぐちゃにして?国旗をどうにかして楽しいのそれ?マジで言ってる?その国旗に何があるの?」という感覚にはなりますけども。

国旗がぐちゃぐちゃになろうとも、僕には関係ないですので、僕が不快な気分にはならないよってことです。

だってほら逆もまたしかりで、「日本人は勤勉で真面目で」とかよく言われますけど、僕は不勉強で不真面目ですから。「どこかの真面目な日本人の話してます?」ってなもんです。

「その日本人、僕じゃないです、さーせん!」って感じで、僕が褒められた気分にならないのと同じくらい、国旗がどうなろうとも気にならないので。

しかし、法律にしたいくらいに、それを気にする人が多いんだなぁって思いました。

多数決ですからね、多数がそう思ってるんでしょうなぁ。

いやはや、オモロいです、人類。

 

侮辱目的で国旗損壊する人たちに言いたいとすれば、「それ、意味ないよ」ですかね。

マイケルジャクソンがblack or whiteのPVで、差別のシンボル(ナチスのマーク等)を、周りに誰もいない場所で破壊しまくるシーンがありました。パンサーパートと呼ばれる部分ですかね。

実際にその場所でその人自身が何もされていない(周りに誰もいない)のに、シンボルを破壊して、それが差別を憎み批判する行為だと思っている、みたいな感じでしょうか。

「差別のシンボルをいくら壊したって差別はなくならないよ」って事を言いたいのだろうなと僕は思いましたが、それを示すようにマイケルジャクソンはそのパートで股間を触る振り付けをします。「自慰行為だよそれは」と言わんばかりに。

日本国旗汚しても国も日本人も僕も汚れませんし、日本国旗壊しても国も日本人も僕も壊れませんからね。

より現実的な行動になればいいよね、なんて思います。

 

応援目的で「日本ガンバレ」とか書いちゃう人にも同じことが言えますが、日本は頑張っちゃくれませんよ。国ですから。

国旗振り回してる雑念を消して、試合と応援に意識を向けたいもんです。

 

いやしかし、僕みたいなモノを割と雑に扱う人間が仮に国旗持ったら、汚損や破損してきたとしても「エイジングだな!」と汚損や破損そのものを楽しんでしまいそうです。

ジーパンあんまり洗わない、破れてもオッケー!みたいなもんで。

いやそもそも持つ気もないですから、どうでもいいですけども。