百田尚樹さんが原作の2013年公開の映画です。
特攻隊をモチーフにしたヒューマンドラマという感じでして、とても面白かったです。
「生き残ることを望み特攻を否定した続けた宮部久蔵が、特攻に向かうまでの物語を、探る」という物語ですね。
「誰かの心理を、他者が語る」というのが肝なんだと思いました。
他者が、「あーでもないこーでもない」と考察し、「きっとこういう理由に違いない」と考察する。
本当のところは、分からぬまま。
ゆえに、見た人たちが、それぞれにそれぞれの答えを導き出すように作られています。
戦争をモチーフとして使っている物語ですが、戦争がテーマではないですよね、多分。
テーマは最終的に「生きるとは?」という感じ?に思いました。
「誰かに答えをもらったり、誰かの受け売りなどではなく、自ら考えて自分なりの答えを見つけるしかない、それが正しくても間違っていたとしても」
と言う人生訓?のようなものがある気もします。
宮部久蔵は、実は本当にただのビビりなだけだったのに、周りが誤解して「いや宮部久蔵は素晴らしい!」と言ってるかもしれません。
本当に、誰かの幸せを願ったのかもしれません。
ただただ生きるのを諦めたのかもしれません。
生きることに疲れたのかもしれません。
あるいはその全てが絡んでいるのかもしれません。
具体的な話をすると、宮部久蔵という人物は、特攻を否定しただけではなく、それ以外の空戦にも参加しません。
他の戦闘機乗りが空戦をしている中、ひとり安全な上空にいて、ただただ他の人の戦いを眺めています。
特攻でももちろん多くの命が失われるわけですが、特攻以外の空戦でも多くの飛行隊員が命を落としています。
宮部久蔵がどちらにも参戦しなかった代わりに?周りが死んでいくのは、特攻も空戦も同じです。
空戦に参加せず、上空を飛び回って、部下がボコボコと撃墜されていく様を上空から眺める。自分の腕を駆使して守ってやるわけでもない。
しかし宮部久蔵は心を痛める様子はありません。
ところが、特攻が始まり、特攻に参加せず、上空を飛び回って、部下がボコボコと突っ込んでいく様を上空から眺める。
突然心を痛め始め、精神を病んだ描写がされる宮部久蔵。
本当に宮部久蔵が部下思いの上官だったのかは、疑問が残ると思いますが、部下を思わなかったわけでもないかもしれません。
このフラフラした立ち位置が、しかし人間らしいとも言えるかもしれません。
いずれにせよ、宮部久蔵が特攻を決めた理由がどんな理由だったとしても、あなたがそうだと思えばそうなる。もしそれが宮部久蔵の本心とは違ったとしても、それが生きる人々それぞれにとって、正しさになる。
宮部久蔵を取り巻く人々は、宮部久蔵の本心など知らぬ存ぜぬで、やれ「臆病者だ」「恥さらしだ」と貶めることで生きていたり、逆に「強い人だ」「家族想いだ」と褒め称えて生きている。
その誰もが、宮部久蔵の本心など知らない。
それぞれが勝手にそう考察し、思い込んで生きている。
宮部久蔵の妻も例外ではなく。
その他、「興味もない」人たちがたくさんいるわけで。
宮部久蔵の孫も、彼なりの答えを見つけるのでしょう。
そして、映画を見た人たちも。
勝手に思い込む。
それが悪いことだと言いたいのではありません。
生きるとはそう言うことなのかもしれないと思います。
他人の心を、勝手な解釈であれなんであれ、生きる力にしているし、死ぬ理由にもなる。
生きる人々は、生きるしかありません。抗えない様々な運命の渦に巻き込まれている中、本当かどうか分からない何かを、もしかしたら嘘だと分かっている何かを、「きっとこうなのだ」「こういうことにしよう」と自分に言い聞かせることで、生きるしかない。
それは特攻隊と同じですよね。
勝手に決められた運命を自らの生き方とするしかない中で、「国のためだ」と言い聞かせ、「家族のためだ」と言い聞かせ、「これが自ら選んだ生き方だ」と言い聞かせながら、生きて、死んだ。嘘っぱちだとしても「これが真実だ」と言い聞かせて生きるしかないから。
僕自身も、自分を省みて「あの人はこういう人だから」と勝手に決めつけて思い込んでいたりします。
そしてそれを、勝手に自分の行動の指標にしていたり、あるいは言い訳に利用していたりするなぁと思います。
良くも悪くも、そうやって人は生きているのかも知れません。生きるとは、そういうことなのかもしれません。
それが時に弊害として現れた時に、今一度「思い込んでいないか?」と考えなおしてみることも、時には大切なのかもしれません。
ちゃんと物語なんですけれども、自己啓発本に近い作りになっていて、へぇーと感心させられました。
映画としては、ゼロ戦飛びまくってるのが良かったですよ。あと、岡田くんカッコいいっすな。良い演技です。
「宮部久蔵が特攻に向かった理由」あなたの答えは何だったでしょうか?それって、思ったが最後、決めつけてませんか?思い込んでませんか?あなたはそれ、宮部久蔵だけでなく、現実に他の人にもしていませんか?でもそれがあるが故に生きる力が湧いてきたりしますか?
もしかしたら、それを考えることが、生きることなのかもしれないし、教訓と呼ぶのかもしれません。
いずれにせよ、宮部久蔵の本心は、永遠に分からない。
死人に口なし、ですね。
生きていたとしても、他人のことは分からないわけですが。
永遠に「1」にはならない。まさに「永遠の0」。
なんか、戦争賛美とか色々言われてるらしいですが、モチーフを特攻にしたがゆえでしょうかね?テーマはそんなところにない気がします。
という感想も、僕の決めつけなのかもしれませんね(笑)