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人生とはなんぞや?人間とはなんぞやー?

戦場を学ぶことによる戦争抑止

大日本帝国はなぜ日米開戦に至ったのか?

という問いかけには、それこそ山のように理由が上がってきます。

その中で、「国民が煽動した」という点が僕はとても気になっていまして。

と言いますのも、僕は軍人でも政治家でもメディア関係者でも学者でもありませんので、教訓にできるものがあるとすれば「国民の立場で何が出来るか?」ではないかなと思うからです。

現代でも、たまに「戦争するしかないだろ!」的なことを言う人が、日本に限らずいます。

なぜ国民は戦争に突き進めたのだろうかと。

で、思ったんですよ。

その要因のひとつに、「戦場を知らなかったから」というのがあるのではなかろうか?と。

大日本帝国は、明治維新以降、1894年の日清戦争から始まって、10年おきくらいに戦争をしています。

しかし、日本本土は戦場になりませんでしたし、最前線の戦場で、軍人が何をしてるのかよく知らないまま、ただ勝ち続けました。

それは、ベトナム戦争初期のアメリカなんかもそうだったんだと思いますが、とにかく一般国民は戦場を知りません。

最近は、映像が流れるようになりました。

しかし、軍人が最前線で戦車砲を撃たれて吹っ飛んだり死んだりするシーンは(当然ですが)映りません。

比較的クリーンな場所で、巻き添えにあった一般市民が逃げ惑う姿が映るのがせいぜいでしょうか。

今まさにロシアとウクライナが戦っているわけですが、映像は一般市民の被害の映像ばかりです。

一般市民が被害を受けるのは悲惨ではないと言いたいのではありません。

同じ惨状が、場合によってはもっと悲惨な事が、軍人にも起こっていることを知らなければならないのではないかという事です。

一般市民が被害を受けてる!なんて悲惨なんだ!許すな!戦え軍人!

軍人には悲惨な状況が起こらないとでも思っているのだろうかというような感じで、国民はどこか無責任に戦争を煽動しているところがあります。

戦場の最前線とはどういうものかは、実は知らないから。

今の日本で学ぶ戦争教育平和教育?)も、原爆や空襲の悲惨さは学ぶかもしれませんが、これは民間人の話です。

特攻なんかも学びますが、特攻さえなければ戦場は悲惨じゃなかったわけではありません。

それまでに山のように悲惨な死を迎えています。

戦争の悲惨さは、こういうものからは学べないようにも思えます。

サイパン陥落、硫黄島玉砕」字面は見ますが、戦場の悲惨さは知りません。

切り落とされた首や腕が転がっていたり、頭が吹っ飛んだ死体が転がっていたり、敵の迫撃砲やら銃弾が飛び交う中を運任せに突っ込んで行ってバタバタ倒れた大量の死体が腐っていたり。骨やら内臓が飛び出たまま生きていたり。

野戦病院では辛うじて生きているような軍人達がうめき声をあげていたり。

攻撃を受けて燃え上がる戦艦や飛行機の中で人が生きたまま焼かれていたり。

「原爆は悲惨だ、化学兵器は酷い、通常兵器で戦えよ、卑怯者!」

なんて言う人もいますが、他ならぬその通常兵器による地獄絵図が想像出来ているのか不思議になる発言だと思うわけです。

戦争を知らなすぎるのではないかと。

 

軍人は国民を守るために存在し、そして戦います。

もちろんそうなのですが、その軍人の死を国民はどこか恐れていないようなところがある。

ゲームやスポーツの試合のように、軍人は「数字」になっている感じでしょうか。

「〇〇人殺されたけど、もっとたくさん敵兵を殺した我が軍はなんて強いんだ!戦争なんだから死ぬ人がいるのは仕方ない!それが彼らの仕事だしね!大事なのは勝つ事!そして国を守る事!」

「玉砕して全滅したけど、最後までよく戦った!さすが我が国の屈強な軍人達だ!さぁ他の軍人もその精神に続けよ!」

大日本帝国が戦争に突き進んだ要因は、ひとつは国民の煽動でした。

どうしてそんな気軽に(?)煽動しているのだろうかと思いません?

治安維持法もありましたから、強制され鬱屈した空気もあったとも思いますが、強制されたのではなく「非国民」と戦争反対を心の底から非難した自粛警察みたいな人もいたと思います。

優しい日本人もたくさんいたと思います。全員が戦争を望んだわけではないでしょう。

「君死にたまうことなかれ」と声を大にして言えたのは日露戦争くらいまでだったのかもしれませんが、かき消された「戦争反対」の声もたくさんあったと思います。戦争を嘆く心もあったと思います。

しかし、国内世論は全体としては戦争に傾きました。

そして最後には「お国のために死んでこい」とまで言うようになってしまいました。「生きろ」とは言わずに。

そこにブレーキがかからなかったのは、国民が戦場を知らなかったのも大きな要因なのではないかと思うわけです。

 

上述の通り、日本の戦後教育では、戦場の悲惨さはほとんど学べません。

僕自身も知らないです。

だけど、自分の国が抱えている軍人を、一体どんな場所に送り出そうとしてるのか?そして、何をさせようとしているのか?は、きちんと知って、考えないといけないのではないかなと思うわけです。

 

軍事組織は世界中にあります。

日本も何かあった時のために持たないわけにはいかないとは思います。

日本は自衛隊ですが。

自衛隊員のみなさんには、災害の時に一度助けられたことがあります。頼もしい方々でして、誰一人として死んで欲しくはありません。

抑止力のためには、戦う覚悟を示すことが大切だと言われます。その通りなのでしょう。

だからこそ、戦場の「軍人たちの」悲惨さを知ることは大切ではないかと思ったりします。

それが、無責任に戦争を煽動する自分自身、しいては国民世論を抑えることにつながるのではないだろうかと。

「必ず全員、生きて帰ってきてください!守り抜いた日本でまた共に生きましょう!」

みたいな、煽動を伴わない戦う覚悟は、抑止力として強力な気もします。

「この国とは戦えない」と思わせる妙な結束力とでも言いますか。

 

と書いてる僕が、戦争の悲惨さを分かってないわけですが(笑)

ありがたいことに、平和な日本でございます。

良き未来が続きますよう、戦争のことも学んで活かしていきたいなぁなんて思います。