深読み気分を満喫するブログ

人生とはなんぞや?人間とはなんぞやー?

「かつての戦争の反省」を、今の日本は活かせているのだろうかというお話

第二次世界大戦で、日本の戦死者は230万人だそうです。

大量に亡くなってるわけなのですが、その半数を超える人は、餓死や病死だそうです。

戦闘どころではなかったことが分かります。

「石油や武器や弾丸など資源がなくて戦闘を続けられなかった」との分析(戦力差で負けた)が多いですが、現実には食べ物がなくて戦闘どころではなかった。

彼らは、言わば大日本帝国政府に餓死させられた方々とも考えられます。

大日本帝国が自ら殺害した日本兵が100万人以上いるとも言いかえられるでしょうか。

国家として、食べ物を食べないことによる自殺をしたのが大日本帝国という感じでしょうか。

 

いずれにせよ、大日本帝国は、軍備を揃えるための防衛費を積み上げていきましたが、兵糧に関しては疎かにしていたのかもしれません。

大日本帝国には賛否あるようですが、この一点に限れば悲惨だなと感じざるを得ません。

先の大戦大日本帝国は、食糧がなくて負けた。

 

翻って、現在の日本はどうだろうかと思ったりしています。

軍備を揃えていこうと防衛費を上げています。

一方、日本の食料自給率は38%。なかなか悲惨な状況でして、兵糧が枯渇する自衛隊員の餓死戦争を性懲りも無く繰り返しそうな様相です。

かつて大日本帝国の食料自給率は90%近くありましたが、3年で食料は底をつき、100万人を超える日本兵が(日本国民も同じくですが)餓死して敗戦しました。樺太、台湾、朝鮮、満州など、今の日本よりもはるかに巨大な領土領空領海を持っていて、巨大な制海権・制空権のもとシーレーンの確保が今の日本よりもはるかに容易な大日本帝国が、です。

食料自給率38%、一体何ヶ月もつのでしょうか。沖縄から北海道までの領土領空領海である今の日本は、小さな制海権・制空権のもと、シーレーンの確保は大日本帝国よりもはるかに難しいように思います。

「半年間はじんわり攻めて、自国の損害を抑えましょうや。で、半年後に自衛隊員が餓死し始めた頃に悠々と乗り込んで一気にいけば短期決戦で楽勝ですぜダンナ!」と思われたら抑止力も何もあったもんじゃなさそうです。

餓死した自衛隊員の横に、いくら兵器を並べても、守れたもんじゃありません。

「かつての戦争の反省のもとに」とよく語られるわけですが、あまり活かされていないのではないかと感じます。

「防衛費を上げろ」が重要ではないとは言いませんが、かつての第二次世界大戦で亡くなった多くの日本兵の惨状を知るにつけ、日本の現状が当時の惨状の繰り返しを受容しているかのようにも感じたりしています。

 

靖国神社に参拝する政治家さんがおられます。

「自国のために命を投げ打った英霊に感謝と尊崇の念を」と仰るわけですが、「大日本帝国が餓死させた日本兵への謝罪をしに行った」と仰る方は見たことがありません。

しかし、国民の代表たる国会議員として、なんかそういうことがとても大切なんじゃないかと僕は思ったりしています。

 

もとい。

「かつての戦争の反省を」とは一体何なのだろうか、なんて事をふと思うわけです。

 

戦後すぐの頃、戦争体験者(国民ではなく、戦場にいた方)は、食うものが何もない戦闘どころではない戦場にて、ただただ野垂れ死ぬしかないところから奇跡的に帰ってこられて、日本の復興を支えておられました。

100万人を超える日本の兵士が、「祖国から見捨てられた」と思いながら、日本から遠く離れた見知らぬ森の中、空腹でガリガリになって動けなくなり、座り込んだまま死んでいったのではないかと思います。

「もうあんな場所には戻れない」と思えるような場所から帰ってきた彼らの言う「かつての戦争の反省を」という言葉と、現代の餓死戦争を知らない方々の言う「かつての戦争の反省」とは、意味合いが違うのではないかと感じたりします。

過激な右派は良く言います。「あれは連合国が悪いのだ」「我が国を貶めるな」「かつて日本は美しかった」

その通りなのかもしれません。

過激な左派は良く言います。「戦争は悲惨なのである」「軍国主義がダメなのだ」

その通りかもしれません。

しかし、そんな右だ左だというイデオロギーの問題なんて、反省を活かす観点からは些末な話なのかもしれません。

「日本が反省すべきは戦争に負けたこと、ただそれだけ」なんて言う人がいますが、反省すべきは全くないわけでもないどころか、反省すべきことも多数あって、それを今、日本は活かせているだろうか?という事は、イデオロギーを横に置いて考える必要があるのではないかと感じるわけです。

 

まるで大日本帝国の惨状をなぞるように食料問題を放置したまま防衛費を上げている現状を見て、当時の戦争経験者達は何を思うのでしょうか。

もし戦争が始まったらどんな事が起こるだろうかと想像すると、あまり良い未来は想像し難いのが現実なのではないかと思えます。

相変わらず、食べるものが無くなって、自衛隊員が次々と餓死していく中、「しかし祖国のために降伏はしない」のだとすれば、一体どうやって守り抜くつもりなのだろうか。

また一億総玉砕の国民に竹槍持たせるみたいな事もありそうな気もします。

まぁ、大日本帝国は守るべきものは最終的には「天皇」でした。立憲君主制の帝国ですから、君主を守るための軍。ゆえに国民が死のうが軍人が死のうが、天皇さえ守れれば良かったのかもしれません。

今は国民主権で、自衛隊も「国民の命を守るため」にあるのだと思いますので、天皇を失ってでも(←そんなこともあってはならんですが)何よりも守るべきものが国民である、という意味では当時とは違うのかもしれません(と思いたい)けれども。

 

付随する話ですが、戦争末期、大日本帝国は桜花とか回天のような特攻専用機の開発やら設計やら作戦策定に国家予算やら人材を投入していましたので、相当無駄な時間と人と金を浪費して自国軍人を殺す兵器開発や作戦を国会で審議して国会議員が多数決で可決して国家命令として特攻作戦を推進したという、もはや謎の行動をしています。

国防費を何に使うのかは大事なのだと思いますが、今の日本はトマホークを始めとして化石のような装備に金をかけているらしく、相変わらず無駄な時間と人と労力を会議にかけて賛成多数で可決してやっている。世界各国がマシンガンを装備する中、火縄銃の装備を買いまくる事を決定するような議論をしているようで、やはり「かつての戦争の反省」が活かされているようにはあまり思えなかったりします。

 

ウクライナとロシアの情勢に感化されて、なんとなく一方向に突き進んでいる時に、今一度立ち止まって見つめ直すべき歴史があるように感じたので少し書いてみました。