「まず自助努力をせよ、無理なら共助を求め、それでも無理なら公助である」
こういう順番でよく語られます。
そして、「自助努力もせずに公助や共助を求めるべからず」という話をされる人がいまして。
いわく「共産主義的思想だよね」だそうなのですが。
それが本当なのかという話です。
例えば、警察という仕組みを考えると。
「まずは警備訓練と格闘の訓練をせよ、無理なら自身でボディーガードを雇い、それでも無理なら警察に頼れ」
という順番であるとすれば、「格闘訓練もせずに、ボディーガードや警察を求めるべからず」になるかどうかです。
例えば、軍隊という仕組みを考えると。
「まずは軍事訓練と武器調達を個人でせよ、無理なら私設傭兵団を雇い、それでも無理なら国の軍隊に頼れ」になり、「軍事訓練もせずに、私設傭兵団や軍を求めるべからず」になるかどうか。
もしそれが正しいとすれば、軍事訓練も受けずに「自衛隊を強化せよ」と言う人は共産主義者だという話になる。
と言う事は、日本の保守政治家と呼ばれる方々本人は軍事訓練なんてやってませんから、「自助努力(本人が軍事訓練するかどうか)に関係なく公助(自衛隊)を充実させよ」という話をされているわけで、彼らは総じて共産主義者ということになる。
日本の左派と呼ばれる方々も、「社会保障を充実せよ」ということで、「自助努力(労働能力)に関係なく公助(社会保障)を充実させよ」という話をされているわけで、やはり共産主義者ということになる。
もしかして!!日本には共産主義者しかいないのかもしれない!!!
なんて、そんな事はないと思うわけですよ。
公助と自助と共助は、個別に存在するわけではなくて、はなからセットなので、「自助が先」とか、「公助が後」とかみたいな前後関係や前提条件になるわけではないよね。
何を大切にするかで、どんな公助を考えるかが違うのかもしれませんが、公助があるがゆえに自助は出来るし、自助があるがゆえに公助が出来るわけで。
そういう意味で、「この新自由主義めが!」と「この共産主義者めが!」は、おまゆう関係にしか思えないわけなのですが、割とこのブーメランの投げ合いが頻繁になされているなぁなんて観察しています。
案外、この対立してる方々は、「公助を求める者同士」で仲良く出来るんじゃないのか?と思ったりもしています。