主張がコロコロ変わる人は正直対応に困るよなぁと思う事があります。
一貫していて欲しいなぁと。
結局何が言いたいのかよく分からないし、何をしようとしてるのかもよく分からなくなってしまうから、関係を継続するのが難しい気がします。
しかし、また別の機会には、主張が変わらない人は正直対応に困るよなぁと思う事があります。
ちょっと柔軟に考えてくれたら良いのに、頑なというか、頑固と言うか。
何度話し合っても徒労感だけがあって、「話は理解したが、自分の主張は変えません、あなたが変わって下さい」みたいな人は、やっぱり関係を継続するのが難しい気がします。
そう考えていると、自分自身に返ってくる。
他者に主張を一貫して欲しいのか変えて欲しいのか、どっちなんだい?という自分自身のブレブレ感が自覚されたりします。
同時に、自分に都合よく相手に一貫して欲しいだけだったり、自分に都合よく相手に主張を変えて欲しいだけなのではないか?一貫せよとかブレてるとか頑固とか、都合よく使い分けて他者を批判的に見ている自分こそが自己中心的な頑固者だよなと自覚させられます。
「なるほど、他ならぬ自分が頑固で同時にブレブレなのだなー」なんて反省するわけですが。
「人ってのはそんなもん」と諦めてしまうこともできますが、学んでより良く変えられるならば何があるだろうか?
という事で、深読み気分を満喫していこうかと思います。毎度前置き長くてすみません。
「他者に寄り添う」とはどう言うことか?という話です。
結論から先に言うと、「自分に寄り添うこと」ではないかという気がします。
「自分を確立する」とかではなく「自分に寄り添う」なのがポイントでして。
「自分という不安定な人間に、自分という人間を寄り添わせる」。「自分に寄り添う人格」を作ってみると言うと多重人格みたいな怪しげな雰囲気ですが、「私なら私にこんな風に寄り添ってあげるかなぁ」程度のものです。主体の自分に寄り添ってあげるわけです。
人間、どうやったって他者のことは分かりませんが、自分のことすら分からないです。
ゆえに、自分にすらどう寄り添っていいのか分からないと思いますが、しかし他人に寄り添うよりもはるかに容易で、なおかつ多くの機会を作れるのではないかと思います。
甘やかすでもなく、厳しく当たるでもなく、「寄り添う」というのもポイントです。
よく分からない自分をなんとか理解しようと努めるかもしれませんし、卑下していたり理解出来なかった自分の話を聞いてあげるかもしれませんし、苦しんでいる自分の横に無言でそばにいるかもしれません。
答えは一つではないでしょうけれども、誰のためでもなく自分のために自分に寄り添うわけです。
うまく励ましてあげたり、声をかけてあげたり、できるかもしれません。
場合によっては、おかしな考えであっても、都合よく寄り添ってあげたりもできるかもしれません。
それぞれに正解ではないかもしれませんが、それで構わないと思います。
大切なのは、人にどう寄り添うか考えてみて実行する機会を作ること。
それが日常になれば、他者に寄り添えるんじゃないかなぁと思ったりします。
僕自身、「考えすぎだよ!そんな事ありえないから」と諭されることがよくありまして、その通りなのだと思いますが、同時に「いや、あなたが考えなさすぎるんだよ」と思ってしまう事もあります。
そんな時、僕は自分自身に寄り添ってみています。
「どうした?」「気分はどう?」みたいな感じです。そんなキザではないですが、そんな感じです。
「結局お前はどうしたいんだ?」みたいな追求はしないようにしてます。解決のプロセスを考えるのは、寄り添った後で良いのだと思うので。
「盲目的だったな」と後になって反省したりして考えを修正したりすることもあります。
もちろん変わらないこともあります。
結果はどちらでも構わなくて、自分に寄り添っている事が誰かに寄り添うときにとても役にたつような気がします。
特に考えが先鋭化してる時は。
僕は博愛主義ですが、排他的だと自覚もしています。
冒頭のように、「こういう人は困るよなぁ、嫌だよなぁ」という排他的な思考が、深読み気分ブログの原点でもありますが、時にそういう考えが先鋭化します。
しかし、そういう人をどうしても排除したくないという博愛主義的な思考も同時に深読み気分ブログの原点だったりしまして、時にそういう考えも先鋭化します。
バランスを取りたがる性格ゆえに、元に戻る事もありますが、先鋭化した思考同士をシーソーの両端に置いてバランスしてるのを勘違いしてる事もあります。シーソーの真ん中に立てば勝手にバランスするのに、わざわざ考えすぎてるわけで、なかなか面倒だなと自分で思ったりします。
「排他的で博愛主義?ブレブレやな!でもなんか一貫しとる気もするな!」という人間に寄り添うわけで、なかなか困ります。
「僕というやつは、困ったやつだな」と自分で思いますよね。どう扱って良いのやらよく分からないですし。
でも多分、どんな人でも多かれ少なかれそうですよね。
矛盾するものが混ざって1人の人間が出来上がってると言いますか。
1人の人間の中に矛盾が共存しているのならば、人同士も矛盾があれども共存出来ると思いますし。
毎日、自分に寄り添ってみませんか。
そうすれば、毎日他人に寄り添うことが出来るのではないかなと思ったりします。