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人生とはなんぞや?人間とはなんぞやー?

映画「えんとつ町のプペル」 アトラクション体験映像作品でしょうか

キングコング西野亮廣さんの作品ですね。

思いっきりネタバレ含むので、見たくない方はお引き取りいただきますよう。

この映画の印象を結論から先に書きますと、絵本の世界からそのまま飛び出したような映画で、アトラクション体験映画としてよく出来た作品です。一方で、ストーリーやメッセージ等は安直な感じでしょうか。

 

1つ目の「アトラクション体験映画」の切り口から書きますと。。
「映画館で遊園地気分を味わう」ような印象です。

ディズニーを超える!ということを西野さんは話していますが、色んなアトラクション体験を、遊園地ではなく映画館で出来ると思います。映像体験をとても重視しているというか。映像もめちゃ綺麗ですし、声優さんもよくて、その目的は達成しているんじゃないかなと。そういう楽しみ方をすると、シンプルに楽しめる作りです。

 

一方で、物語やメッセージは個人的にはかなり残念でした。キャラクターやストーリーの設定とか設計の話なんですけども。

 

ストーリーの設計から話しますと。

この物語の登場人物「ゴミ人間プペル」はルビッチの父親の死後の魂が乗り移った存在です。

プペルが生前の夢を叶えるために終始奔走しています。一方でルビッチはプペルが父親とは気づいていませんが、「星はあるかも知れない」と声を上げています。夢を叶えるための具体的な努力や覚悟や行動はありません。まぁ子供ですからそうでしょう。

ざっくり言うとこの物語は「息子(ルビッチ)に星を見せたい!という生前の夢を叶えた父親(プペル)の物語」という感じだと思います。


ルビッチは夢を叶えるわけではなく、ルビッチはただ死後の父親に星を見せてもらった10歳の少年です。

まぁタイトル通り、プペルの物語。ルビッチは脇役なのかも知れませんが。

この構造が、上手く働いていれば良いのですが、あまり上手く機能していない感じなんですよね。

一見するとルビッチが「星を見たい」という夢を叶える物語で、「何も努力しなくても、夢があるんだと叫んでるだけで、誰かが夢まで連れてってくれるよ」みたいになる。プペルの夢実現物語として見ると、死んだ後だし、夢を叶えるのに、間に合ってるのか間に合ってないのか分からない。

ルビッチの夢は星を見ることじゃない、という設定だとすると、プペルの一方的な夢に巻き込まれただけの子供みたいに見えたりもします。

プペル(父親)に強引に振り回されるかわいそうな子供の物語が並行して進んでいる感じ。


なんというか、物語をどう追っても、メッセージがとっ散らかっているような印象になってしまうと言いますか。

 

もうひとつ残念なのが、キャラクター設定です。キャラクターがあれだけ出てくるのに、物語に深みを持たせられないのは、キャラクター設定や使い方が良くないからだと思える。

とにかくキャラクターの性格が分からない。

主人公の1人、脇役かな?ともかく、ルビッチの性格ですら、よく分からない。


脇役も「話し方の癖」みたいなものがあるのですが、性格がわからない。

最悪、一人一人に深みがなくても良いのだけど、だとすれば何人かのキャラクターを使って物語に深みを持たせるものだと思いますが、そうでもない。


もう少し具体的に言うと、例えば、物語の中で示される「夢をバカにする理由」は「もし誰かが叶えてしまったら、諦めた自分がバカみたいだから」という1つの理由しか出てきません。

しかも、安直なことにキャラクターのセリフとしてやっちゃう。

せめて物語の流れや絵を見て、観客が気付くようにしてほしい気がしますが、それを除いても、「他者の夢をバカにする」理由が1個。だけ。

それだけ?そんな単純化してしまうの?と。


1人の人間でも、行動の理由は山のようにあるのが現実ですよね。そういうのが、個人の深みでもあり、世の中の深みでもある。

そういう深みを持たせるためには、1人のキャラクターをもっと深掘りして内省させて描写するのが1つの方法ですが、それはない。

もう一つの方法は、複数のキャラクターを使い分けて、「A君はこう言う理由でバカにする、Bさんはまた別の理由を語る、C君はルビッチが嫌いだから、D君は夢を叶えたが大切な仲間を失って「人生における本当の幸せとは夢を叶えることではなかった」と気づいた、E君は叶えた夢が想像より楽しくなかった、それでもなお不幸も何もかも覚悟して不幸になっていてもそれを受け入れてルビッチは夢を叶える」みたいな感じでその複雑さを表現すると、物語は深くなるわけですが、それもない。

何と言いますか、安直です。

キャラクターと物語が安直で、メッセージも安直。

 

物語の中で、それぞれに物語を“つむぐため”の「人々の人生」が無いといいますか。物語を進めるための進行役はいるんですけどね。


よく、漫画でもアニメでも、クリエイターは「キャラクターが勝手に動き出す」と言います。これはキャラクターに魂が宿ってるからだと思います。

このえんとつ町のプペルは、与えられた物語を進行する役割をこなす魂のこもらない演者さんがたくさんいる感じでした。

キャラクターが実際にそこに住んでいて物語がつむがれていくのではなく、物語をキャラクターが脚本に沿って進行している感じかな。


物語にまた戻りますが、

遊園地に来て、「次はこのアトラクション!次はコレに乗りたい!」的な物語の展開でして、アトラクションの順番は変わっても何も問題がない感じです。

小学生的な日記になるというか。

「今日はプペル君と遊園地に行きました。ジェットコースターとか観覧車とかに乗りました。ジェットコースターではぶつかりそうな気になって怖かったです。最後に星を見るアトラクションに乗りました。星を見るアトラクションに絶対に乗りたかったので、嬉しかったです。」という日記ですね。そういう物語。

物語としてはつながりがなくて、ツギハギだらけの感じです。キャラクターが進行役でしかなく。

脚本がうまくいけば、これがただのアトラクション体験映像作品だけでなく、物語としてつながるのかなぁと思うと、脚本が良くないのかなぁ。


最後に、メッセージについて感じたことを。

プペルの物語のメッセージは、「何を言われても夢を追いかけていこう!夢を追いかけるのは素晴らしい!」ではなく、「夢を追うものの邪魔をするな愚民ども!」という怒りとも悲しみとも絶叫とも言えるメッセージが強い。

少なくとも僕はそういう風に感じました。

「夢を批判する人🟰ダメな人」という安直な方程式の上にしかない感じで、これもまた世の中の複雑性への理解の欠落を見る感じです。

表出しているのは、ルビッチやプペルが夢を追う姿の描写なのですけど。そこはかとない怒りのようなものが作品全体を覆っている。

その怒りを「夢を追うことは素晴らしい」というオブラートに包んでキラキラした描写で覆い隠して作品にしているのであろうけども、隠しきれないドス黒い感情があって、本当はそれが言いたくてこの作品は出来上がっているように思いました。


まとめると、「アトラクション体験映像作品」として作っていて、そういう意味では良くできています。ビジネス臭プンプンしますが、ビジネスモデルとしてもよく練られてる感じ。一方で、物語やキャラクター設定が雑。メッセージが黒い。という感じです。


ともあれ。


もはやメッセージもストーリーも何もかもかなぐり捨てて「アトラクション体験映像作品」という、もうそのためだけと言ってもいいような映画の作り方にしてしまった方がよほど西野さんらしいんじゃないかと思ったりしました。

個人的には、物語やキャラクターの魅力はありませんでしたが、「アトラクション体験映像作品」という観点ではとても面白かったんですよね。

変なメッセージやら思想やらキャラクターが物語を浅くしてしまっているというか。
プペルの心臓がぶっ飛んでいくエンディングでしたから、2作目も考えてるんだろうけども。

これは第一作目ですから、とりあえずアトラクション体験映像作品の第二弾は、もうアトラクション体験全振りでやってもらったら良いのではなかろうかと思いました。