前回記事の余談のようなものですが。
特攻で突っ込む、その 最後の瞬間に主人公の宮部久蔵の表情が、なんとも言えません。
この表情を見るだけでも、この映画を見る価値があると思わせてくれるくらいに。
それは、「もしかして自分も同じ状況ならそうなるかもしれない」と感じるからです。
簡単に文章にする事が出来ない表情でして、一言で表現することも出来ない人間の複雑さを、自分の中にも感じたりします。
どんな風にあの瞬間考えるだろうかというのを、少し文章化してみようかと。
「成功だろうと失敗だろうと、何がどうあろうと、この死に方は無いよな」
「じゃあどんな死に方なら良かったのだろうか?」
「生きていたとして、これより良い死に方を迎えるのだろうか?」
「このまま生き残ったとして、どう生きるんだ?生きることは幸せなのだろうか?」
「生きたかったはずなんだ。死にたくなかったはずなんだ。何故死にたくなかったんだろう。どうせいつか死ぬのに」
「なんだよ、ただ死にたがってるだけみたいな考えじゃないか」
「死にたいのが本心なのか?それとも、もう死ぬから、自分に言い聞かせようとしてるのか?」
「そんな事言い聞かせなくても、もう死ぬよ」
「今俺が考える事なんて誰にも何も伝わらないままで」
「いや、生きていても、特攻なんてダメだなんていう俺の考えは誰にも伝わらなかったな。結局生きてても死んでも同じか」
「おっと!!おいおい!!もう敵艦が目の前だぞ、頑張れよ敵さん、落としてみろよ!!」
「戦って腕を駆使したけど、力及ばす敵に撃墜されました、、って方がよっぽど納得がいく気がする」
「なんで自分で突っ込んでるんだ?自殺なんかして、バカじゃないかこいつは、あぁ俺自身か。」
「せめてもうちょっと考える時間をくれよ、撃墜するなら、敵艦に当たる直前で頼むよ敵さん。特攻失敗でも良いからさ、どうせ死ぬんだから、ギリギリまで猶予くれたっていいだろ」
「何の猶予だよ?死んだら思考すらなくなるのに、猶予なんてあってもなくても同じじゃないのか?バカらしい」
「下らないなぁ、、、」
「うわっと!!ぼけっとするな!めちゃくちゃ狙われてるじゃないか。避けろ避けろ!!」
「あれ、なんで避けてるんだ?生きたいのか?本当は生きたいんじゃないのか俺は?」
「じゃあやっぱり、死にたがってるだけみたいじゃないかっていうさっきの考えは本心じゃなかったのか?」
「逃げるか?」
「どこに?」
「うわ!!くそ、避けろ避けろ!」
「集中しろ自分!敵艦はもうすぐだろ!狙いを定めろ!」
「あれ、やっぱり死のうとしてるな、というか、特攻も成功させようとしてる。さっきは撃墜してくれと考えたのに」
「どっちだよこれ、俺は何がしたいんだよ」
「もういい、考えるな」
「志願したのは俺だろ!ほら!行くぞ、行くぞ!!!」
「敵の攻撃は当たるわけないよ、どれだけ訓練したと思ってるんだ!」
「ほら当ててみろよ!ははは、当たらない当たらない!」
「俺、特攻しなければ、この飛行技術で生き残れたんじゃないのか?」
「何のために何年も訓練してたんだ?生き残るためだろ?特攻で死ぬために訓練したわけじゃないのに、、、」
「また考えが浮かんでる。考えるな、もういいよ。そのまま突っ込め!」
「何のための訓練だったかなんて、この攻撃に関係ないじゃないか!」
「また自分に言い聞かせてるぞ。そんなに言い聞かせないとダメか」
「志願したのは俺自身だろ!何を今更!」
「この期に及んで、ぐちゃぐちゃと面倒だな」
「もう考えながら突っ込むか。最後くらい考える自由を自分で奪うこともなかろう」
「自分自身が生きたいのか死にたいのかも最後まで分からないのか、人間、自分のことすら分からないままなのかも知れないな。」
「あぁ、成功するのかな、特攻、、、こんな攻撃、成功したところで何になるんだよ。誰だよこんな下らない作戦考えた奴は。」
「今更こんなところで批判したところで誰にも届かない、誰にも残らない、ただの独り言だけどな」
「じゃあ何のために考えてんだろう?バカらしい。」
「あぁ、もう、、、ぶつかる。ぶつかるー!!ああぁ!特攻成功だよこれ!おら!!クソくらえ!」
みたいなことを高速回転する脳みそでグルグル考えてしまいそうだ。
そして、あの最後の表情につながりそうなのである。
どこかで失敗を願いながら同時に成功を狙い、生きたいのか死にたいのかもわからない。
それ、特攻隊に限らず、現代を生きる人でも案外そうだよなとも思えます。
あの表情、岡田准一さんマジで秀逸です。