「あなたが悪いんじゃない、親も悪くない、色んなことが重なってこうなってしまった」
映画「二十四の瞳」の主人公、大石先生が、悲しむ誰かを励ます時に語った言葉です。
自分ではどうしようもない“何か”がまとわりついたまま、人々は生きていました。
それは戦争もそうなのかも知れませんが、戦争だけでもありません。
この言葉は、政治批判でも戦争批判でもありません。「偉い人が悪い」とか「戦争のせいだ」と言ってませんので。
“何でも正直に言ってしまう”大石先生が、そう言ってないんです。
つまり、「市井の人だけでなく、政治家も憲兵も偉い人も例外なく、どうにもならない何かにまとわりつかれて、今こうなってしまった」という感じですね。
とにかく、「人間は、どうすることもできない“何か”にまとわりつかれている」という感じです。
子供も、大人も、偉人も、市民も、誰も彼も。
親を助けるため勉学を続けられず、奉公に出る子供。
世界恐慌による不況で仕事を失い子供に不便をかけるしかない親。
生まれてすぐ母を亡くし母乳がないために生きられなかった赤ん坊。
軍人を志願し、戦場で視力を失い、終戦を迎え「死にたい」と話す青年。
大きな声で「戦争反対」と語れない教師たち。
仕事を失わず、食には困ることなく生活する人。
“アカ”を取り締まる憲兵。
戦争を決断した政治家。
その誰もが、例外なく、どうにもならない“何か”にまとわりつかれながら、いた。
学校の点呼でみんな「はいっ」と元気に返事をした12人の子供たちも、それぞれにまとわりつく何かから逃れられるわけではありませんでした。
「自己責任だよ」と軽々しく話す現代の者達は、彼らに何とアドバイスするのだろう?
「戦場で視力を失って死にたい?軍人を志願したのは自分だろ?そうなる可能性くらい予測出来ただろう?自己責任だよ」と考えるのだろうか。
「本当に教え子の命が大切なら、自分が逮捕され暴行されるリスクを顧みずに教育出来ただろう?教え子の命より自分の命が大切だっただけだろ?自己保身だろ。自己責任だよ」と考えるのだろうか。
「すぐに亡くなる母親のもとに生まれてくるから生きられないんだよ、自己責任だよ」と考えるのだろうか。
大石先生の言葉は、「あなたは悪くない、親も悪くない、色んなことが重なってこうなってしまった」でした。
現代では責任逃れの典型のようなセリフと考えられるかもしれません。
だけど、大石先生のこの言葉が、責任逃れではないと感じたんですよね。
ただひたすらに、自分ではどうにもならない何かがまとわりついている。
そんな中で、十人十色の苦悩や思考や人生がひたすらに続いていました。
映画の前半で、牧歌的な歌を教えていた教育は、中盤から戦火とともに軍歌を教える教育に変遷し、映画の後半で終戦を迎えるとともにまた牧歌的な歌を教える教育になります。
大石先生が新任教師の頃1年生だった子供達が、初めて学んだ歌は牧歌的な歌でした。まだ平和が残っていた時代で、食事もそれなりにあったのかもしれません。
一方で、戦火を迎える中で1年生になった子供たちは、初めて学んだ歌が軍歌なのかもしれません。平和ではなく不況で、食事にありつくのも大変だったのかもしれません。
「あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ偲ばるる」
それぞれ偲ぶ昔とは、どんな昔なのでしょう。
彼らにそれを何とか出来たでしょうか。
そして、この奇妙な変遷の中を生きた人たちは、もうほとんどいなくなりました。
「こうすれば戦争に向かわなかったんだよ」「あの判断が間違いだったんだ」なんて簡単に言うのは、知らない世代かもしれません。
「知らない奴は簡単に言ってくれるよ。どうにもならない何かがまとわりついていたのに。現代でもそうだろう?」と言われるのだろうなと思えてなりません。
現代の日本は、この時より恵まれているとも思えるんですが、同時にこの時と何も変わらないとも思えます。
美しい日本の歌と攻撃的な日本の歌とが入り混じっていて、現代に続く日本という国が内包する美しくて汚れた特性にまとわりつかれる感覚。
解決策は見つからない。
映画を見ていると、当時を生きた人たちの無力感がすごく伝わってきます。
それは現代でも何ら変わっていなくて。
「戦争に反対する教育や発言はアカだ」「お国のために」「鬼畜米英が」といった言葉の背景にある‘何か’がまとわりついた彼らに、抗う術はあったのだろうか。
「自己責任だよ」「努力が足りないのだ」「他国の脅威が」といった言葉の背景にある‘何か’がまとわりつく現代、それに我々は抗うことが出来るのでしょうか。
結果、我々は学ぶことなく、日本人同士で分断し合い、世界と分断し合っている気がします。
「あなたは悪くない、親も悪くない、色んなことが重なってこうなってしまった」
本人を責めるでもなく、周りを責めるでもなく、世相や時代を責めるでもなく、自分を責めるでもない。
世に分断を産まず、敵を作らない、この言葉の持つ深みを、今こそ心に宿したいなと思う。
映画の中で大石先生が触れた二十四の瞳の行方を見て、この言葉の真相に触れてみると、より楽しめるのではないかと思っています。
壷井栄さん小説が原作。1954年公開の木下恵介監督による作品です。
かなり古いですね。
敗戦から9年、GHQの統治が離れて2年、沖縄はまだアメリカの支配下にあり、朝鮮戦争が終わって神武景気に浮かれる中、自衛隊が発足という安保闘争の黎明期とも言える時代に公開されたわけですが、当時の戦争を経験し復興に苦しんだ方だけでなく、現代でも突き刺さる映画だと思います。
白黒の映画ですし、ところどころ音声が潰れてしまっていて聞き取りづらかったんですが、なお素晴らしい名作だと思います。