「ほらあんた!あんたが悪いんだから!謝りなさい!」
悪い人が謝る、という方程式がどうもしっくりこなくてですね。
例えば、気付かずに足を踏んでしまって「あ!ごめん!大丈夫?」なんて謝り方は誰しもした事があると思われます。
わざとじゃないけど、悪い訳じゃないけど、謝るじゃないですか。
「わざとじゃ無いなら謝らなくていい!」なんて言って、偶然足を踏んでも「はぁ?わざとじゃないですけど、なんで謝らないといけないんですか?」とかいう人間はどうなんだろうとも思います。
「結果として〇〇になりました、残念です。しかし、あの時の判断は妥当でした」とかよく聞きますが、なんか釈然としません。
悪い方が謝る、なんかそれだと抵抗があるなぁと。
どんな風に考えたら良いだろうと。
で、思ったんです。
「謝る」とは「心配する心」
心でも体でも、傷つけてしまった相手を心配する人が「ごめん」という言葉を使う。
そういう風に考えるのはどうだろうかと。
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「ごめん」というのは、相手を思いやって心配する人が使う言葉です。
わさとでも、わざとじゃなくても。傷ついたかもしれない相手を心配する人が使う。
「きつく言いすぎてごめん」「叩いてしまってごめん」「当たってしまってごめん」「壊してしまってごめん」
「傷はもう大丈夫?」
この相手を思いやる心を持つ人が「ごめん」と言う。
悪い人が謝るんじゃない、心配出来る人が謝るんです。思いやりのある人が謝るんです。
相手を思いやって心配出来る人は、素晴らしいと思います。あなたはどう思いますか?あなたはどんな人になりたいですか?
そういう人になるとあなたが決めるなら、今から、あなたのその心配を、「ごめん」という言葉で伝えてあげましょう。
許してもらうのが目的じゃありません、あなたの心配をただただ伝えることだけがあなたが謝る目的です。
あなたの心配や思いやりがちゃんと伝わるように、誠心誠意謝りましょう。
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みたいに考えれば、社会が少しでも良い方向に向かって行かないかなぁなんて思ったりしました。
まぁ捉え方の一つでして、それが全てではないからややこしいわけですが(汗)
「ありがとう」と「ごめん」を言うことは、とてもとても人生を豊かにする。とは思います。
まぁ、僕自身出来てるのかと言えば、怪しいですけどもね。
自分がやらないとね、とも思います。。